平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

ミラクルパワーのマジックポーション。

さすがにもう、認めなくてはならないようだ。
どうやら、魔法の薬は、僕には効かなくなってしまったらしい。

ぼくがうんと若い頃、つまり、まだ町中に刀を差した侍がウロウロしていた頃、酒は僕にとって魔法の薬だった。
ひとたびそれを口にすれば、たちどころに頭の回転がはやくなる。思考が柔軟になり、酒が入っていない時には思いつかないような面白いアイデアを、絶妙なさじ加減で選んだ言葉で構成できた。反射神経も速度を上げ、リズムとタイミングの最適値を瞬時に把握し、それに沿って言葉を発することができた。会社の先輩に、「お前は酒飲みながら仕事ができたらよかったのにな」と言われるほどの魔法の効きっぷりだったのだ。
……まあ、実際のところは、「昼よりはちょっとマシ」程度のことだと思うのだけど、ちょっと酒が入ったほうが調子がいい、という自覚症状はあったのだ。

ところが、である。
最近、いや、ここ数年かもしれない。
人間、歳を取ると時間に関する物差しがいい加減になってくるので、最近のつもりが5年も前のことだった、ということはおおいにあり得る。
とにかく、今の僕には魔法が効かないらしいのだ。いや、効かないわけではなく、効いている時間が極端に短くなっているようなのだ。
ここ何回かの飲み会のたびに、おかしいなあとは思っていたのだ。もしかすると……とも思っていたのだ。でも、見て見ぬふりをしていたのだ。
しかし、さすがにもう、認めないわけにはいかなくなってしまった。ブログに書くことが思いつかない時に魔法の薬の力を借りても、ほとんど何も出てこないじゃないか。

20分。
これが、なんとなくの目安ではあるものの、現在の魔法の持続時間である。かなり短いといっていい。20分じゃ何もできないじゃないか!……とまでは言わないが、できることはそう多くない。
あまり具体的な方法を明かしたくはないが、外の飲み会や、自宅での飲酒時に、測定のための実験をしたことがある。
たとえば、ある休日の夕方から、一時間にグラス半分のペースでウイスキーを飲み続け、思考や身体の状態がどう変化するかメモを取ったりした。その時はそれなりに真面目に考えて行動しているのだが、後になってこうして文章にしてみると、「この人、ちょっとバカなのではないか」と思わずにはいられない。
魔法の持続時間が短くなっただけではなく、効き目が切れたあと、極端に言葉が出てこなくなることも確認した。
微妙なニュアンスを伝えるための言葉が入っている引き出しが開かなくなってしまうようで、たとえば、
「あの人はちょっとクセがあるけど、実はけっこういい人なんだよ」
というようなことが伝えたいのに、
「あれ、あいつね、クセありすぎ。もうダメダメ。げーぷ」
みたいなことになってしまう危険性がある。要はただの酔っ払いだ。まあ、酒が弱い人間が飲み会に参加した際の末路としては、それはそれで正しい姿なのかもしれない。

酒は魔法の薬として使えない。
つまりこれからは、効能を求めて酒を飲むのではなく、単純に「美味しいなあ」と思いながら飲めばいいのだ。酒の飲み方としては、こちらのほうが正しいだろう。
純粋な酒飲みとしては、今がデビューなのかもしれない。

もしも、言葉を使って遊びたかったら、なるべく酒の入っていない状態で考えるしかない。
まあ、それだけのことなのだ。

それはちょっと。

昨日の夜、会社から出たところで街中に爆発音が響いたのであった。
それほど大きな音ではないが、聞き逃せるほど小さな音ではない。
とはいえ、もしかすると何かの勘違い、という可能性もあるので、その時いっしょに帰っていた人(仮にIさんと呼びましょう)に確認してみると、彼にも聞こえたという。周囲の人々も不思議そうにあたりを見回しているようだ。
「高いところから見てみましょうか。何かわかるかもしれない」
Iさんの提案で、近くの歩道橋の上から周囲を見回す。見る限り、特に異常に見えるものはない。ちなみにこのへんは、『シン・ゴジラ』でゴジラに襲われた地域だ。スクリーンの中で会社周辺を破壊するゴジラを観ながら「ああ、今きっと僕は死んだんだなあ」としみじみ悲しくなったことを覚えている。
「特に問題なさそうですね」
と言うIさんに、
「いやあ、これだけビルがたくさんあると、一つくらい倒壊していてもわからないですよ」
と冗談を言ってみた。
Iさんは特に笑わなかった。それどころか、ちょっとあきれたような顔をしていたような気がする。暗くてよくわからなかったが。

近くの国からの核ミサイルとか、国際的なテロとか、そういう単語がいつの間にか身近になってしまった。
身近になってしまったということは、自分の近くでそれに関する怖いことが起きる可能性がある、ということだ。
そう考えると、この爆発音が、何やらものすごく気になってくる。

もし、ここで、何か恐ろしいことが起こっているとしたら。
もし、ここで、命を落とすようなことになったとしたら。
大げさに思われるかもしれないが、爆発音の原因がわからない以上、可能性はゼロではないはずだ。

そんなことを考えていたら、僕の中で少し興味深い現象が起きた。
もし、ここで命を落としたら、人生の最後を、Iさんと過ごしたことになる。
そう思ったとき、反射的に、
「それはちょっとなあ」
と思ったのだ。
これは、Iさんについて「憎い」とか「嫌いだ」とかいうようなマイナス感情がある、ということではない。
これが仮に、相手がジョニー・デップでも、上白石萌音でも、
「それはちょっとなあ」
と思うような気がする。

人生の最後を、誰と過ごしたいか。
今まで真面目に考えたことのないテーマだが、ひょっとするとこれは、
「もちろん家族に決まってるじゃないですか」
というような単純な話ではないのかもしれない。
言い換えると、人生の最後を共に過ごす相手、それはひとりなのか複数なのかわからないが、そのメンバーは、愛情等で決められないのかもしれない。

……と、会社帰りに密かに死を覚悟していた中年男がそんなことを考えていたなんてことを、Iさんはたぶん知らない。ちなみにIさんは単身赴任中の中年男だ。Iさんは、自分の人生の最後の時、誰と過ごしたいと思うのだろう。ちょっと予想を超えたところがある人だから、想像もつかないような人選をするような気もする。

人生の最後、誰と過ごしたいか。
秋の夜長に、ちょっと真剣に考えてみると、けっこう面白いですよ。もちろん、気分が暗くならない程度に。