平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

月に小さくピースサイン。

 日本人ではじめて月面に降り立ったのは、まあ、南波日々人くんなのですが、人類初となると、これはもう、ニール・アームストロング船長なわけです。

 僕は、アームストロング船長が月面に着陸した時には、まだ人類ですらなかったのですが、70年代の男の子の常識として、当然、名前くらいは知っていました。もちろん、あの名言「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」も。

 月に限らず、宇宙には、どこかしら人の心を惹きつけるものがあるような気がします。

 もちろん、生まれた年代や性別によって、その関心の高さにバラつきはあるでしょうが、少なくとも、僕が少年の頃は、ある意味で、宇宙は身近なものでした。

 もっとも身近な、もっともわからないものが、宇宙だったのです。

 僕と宇宙をつないでいたのは、想像力でした。

 空気がない。重力がない。

 自分の生活の中に、普通に存在するものが、ない。

 ないってどういうことだ。

 知らないことだらけ、謎だらけ。

 たとえば、月面に着陸した着陸船のハッチを開けて、月面への一歩を踏み出す時。

 そりゃあ、今まで、いろいろな実験や試験をして、理論上はこの装備で大丈夫、という状態を作り上げて、そのハッチを開けるのだろう。訓練だってたくさんしたのだろうし。

 でも、やっぱりでも、その外側は、誰もまだ行ったことがない世界だし。ひょっとしたら、ハッチを開けた瞬間、誰もが予想もしなかったことが起きる可能性も、当然あるだろうし。

 ハッチを開ける瞬間、アームストロング船長は、何を考え、どう感じ、身体はどう反応したのだろう。

 ……見たことも聴いたことも触ったこともないものに対して、僕らは、目の前のわずかな情報に、これまでの人生で得たつたない経験を足したり引いたりして、想像とも妄想ともつかないような力を駆使しながら、わかりもしない世界のことを、「おースゲー」なんて言いつつ、なんとかわかろうとしたのかもしれません。

 大人になって何回か、想像力なんてものは、大人にとっては実はジャマなんじゃないか、と思ったことがあります。

 ひたすら、目の前にある問題を処理する。判断する。必要か不必要か、その場で決定する。

 ぱっと見た感じ、理解のできなさそうなものは、ジャマなものなので、捨てる。

 「これについては、あとでよく考えてみます」なんて言ったら、使えないノロマ扱いされて、「アレにはもう期待するな」みたいなことを言われたりする。

 ……って、大人になってからの毎日が、すーっとこの調子、なんてことはなく、基本的に、日々は平和に過ぎているのですが、ただまあ、それなりの時間を生きていると、まれに、こういう世界に巻き込まれてしまうことがあります(僕ですらありました)。

 シンプルな例でいうと、我々の業界用語でいうところの「火のついた現場」というのは、こういう世界になる可能性が高いです。

 そういう、まずは脊髄反射、というような状態が続くと、想像力というものが、とてもやっかいな力のように思えたりもするのです。

 が、結局のところ、僕はその力を捨てることができませんでした。

 捨てられなかったし、そもそも、どんな目にあっても、こいつを捨てる気が起きなかったのです。

 (なんでだろう)

 なので、今、僕はどこかで、「グズでボサっとしたアホウ」とかなんとか思われているかもしれません。

 でも、まあいいか。たぶん。

 先日亡くなったアームストロング船長の遺族が、こんなコメントを発表したそうです。

「(前略)そして次の晴れた夜に外を歩いていて、月があなたにほほえみかけているのを見たときは、ニール・アームストロングのことを思って、ウィンクしてあげてください」

 ……なんかカッコいいよなー(笑)。

 まあ、それはともかく、今日の帰り道は、月を探して歩こうと思います。

 そして、どこかの空に月を見つけたら、僕はウインクは苦手なので、胸の前で小さくピースサインでもしようと考えているのです。

Feel So Moon!