平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

眠れぬ夜のために。

まずバスタブにお湯をためる。

湯温はお好みで。少し長風呂できるくらいの温度で調整する。

次に、音楽を選ぶ。
当たり前っちゃ当たり前の話だが、自分が好きな音楽を選ぼう。今、一番聴きたい音楽であることが望ましい。

選んだ音楽をどうやってバスルームに持ち込むか。
僕の場合、スマートフォンが内蔵できる風呂用スピーカーを使っている。
ちなみに、風呂用スピーカーを手に入れる前は、バスルームのドアの向こうにスマートフォンを置き、やや大きめの音量で音楽を流していた。ご参考まで。

バスルームの照明は、できれば少し暗めにしたい。
ただし、真っ暗はお勧めしない。
自分の手のひらも見えないような状況で風呂に入るという行為は、想像以上の恐怖を伴う。実際、試してみたらものすごく怖かった。

さて。
たっぷりとしたお湯と、ゴキゲン(死語か)な音楽と、ささやかな暗がりが手に入ったら、バスタブに浸かる。
ゴキゲン(だから死語だってば)な音楽を聴きながら、考え事をしたりしなかったり、ぼんやりとしたりしなかったりしよう。
肝心なことは、「せっかくここまで準備したんだし、これはもう絶対にじっくりのんびり癒されなくては」などと、無理に思わないことだ。どうしても気になる問題を抱えていて、それが頭から離れないようなら、そのことについて考えるのもいい。
ただし、あまり真剣に考えないこと。結論を出そうと張り切る必要はない。これはあくまで私見なのだけれど、世の中にあふれている「問題」って、全部が全部きっちりとした結論を出さなくてもいいのではないだろうか。

しばらくお湯に浸かっていると、「お、なんとなくほぐれてきたぞ」という気分になるだろう。その際、身体の奥のほうから、
「あー」とか、
「くー」とか、
「ふー」とか、
そういった声を伴う息が発せられることがある。
何かよくないことがあった場合、発せられる息の色が黒っぽくなることはよく知られているが、最近の研究では、この息がバスタブのお湯に溶けても特に人体に悪影響を及ぼすことはないとされている。息の色はその日の様々なコンディションによってまちまちだが、それが黒でもピンクでも、どんどんバスタブにたれ流そう。

流すといえば。
先ほどからずっと流れているはずのゴキゲン(……)な音楽が、一番好きなところになったら、やるべきことがある。
歌詞でもメロディでも音色でもなんでもいいのだが、その音楽の一番好きなところがきたら、それにあわせて両手を挙げ、そして、「いえーい」と言うのである。無理にリズムに合わせる必要はないし、大きい声で叫ぶ必要もない。
「この曲の、ここがとても好きだー」という気持ちを込めて、大きく、胸を張って、ゆっくりと両手を挙げよう。

いいことがあってもいやなことがあっても明日は来る。
明日が来る前に、ひとまず風呂に入ろう。
いいことがあって興奮気味の人には、心身を落ち着かせるためのひとときを。
いやなことがあってどんよりしている人には、存分にため息をつくためのひとときを。
ゆっくりと、バスタブに浸かる。そして時々「いえーい」である。
面倒くさかったら、今日くらい身体なんか洗わなくてもいい。僕は黙っていてあげる。紳士協定だ(なんてね)。

バスタブから出る。タオルで身体をふく。
そうすると、さっきより少し、身体が軽くなっていることに気付くだろう。さっき、身体の中の何かがバスタブのお湯に溶け出したのだ。

身体が少し軽くなったことを実感する。
その分、明日は軽やかにステップを踏んで動けるだろうかと想像する。
好むと好まざるとにかかわらず、誰にも平等に、明日はやってくる。
ゆっくりとそれを待つ。