勝てないなら。
今日は通院日である。
「通院日」という言葉を思い浮かべると、条件反射的に「ツインビー」という言葉も頭に浮かぶ。
だからなんなんだ、という話なのだが、思い浮かぶのだからしょうがない。
「通院日」と「ツインビー」の間につながりはなく、単に単語を連鎖して思い浮かべているだけなので、ダジャレにもなっていない。
そもそも、今を生きる人々のほとんどは、「ツインビー」などと言われてもなにがなにやらわからないだろう。
にもかかわらず、これからも、病院に行くたびにふと「ツインビー」という言葉を思い出してしまうのだろう。
どこにも行き先のない言葉なのにねえ。
検査の結果は、よくもなく悪くもなく、という感じであった。
治療して治る病気ではないので、前回の検査とくらべて結果がよい、ということはない。悪くなっていないということが肝心なのだ。
「病気の進行をできるだけ遅くして、失明する前にあなた自身の寿命が尽きれば我々の勝ち。これがこの病気との戦い方です」
……なんてことを初代の主治医に言われたことがあった。
(余談だけど『マスターキートン』あたりで似た感じのセリフがあったような気がする)
治すことはできない、しかし、悪くなるスピードを可能な限り遅くし続ければ、それは治っていることと近い意味になる。
主治医の言ったことを、僕はそう解釈したのだけれど、なんというかこの、
「勝てない」ならばせめて「負けない」
という考え方はものすごく新鮮で、病気持ちのルーキーとして気負っていた僕はずいぶんと気持ちが軽くなったものだ。
いやまあ、負けないために日々なにをやってるかっていったら、朝晩二回、目薬さしてるだけなんですけどね。
それすらも、たまに忘れちゃうし。