平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

コーヒーとゴリラ。

ただただ怠けたい一心で会社を休む。

特にやることもないのだが、なんとなく繁華街に出向き、「ゴリラのようなガツンとくるコーヒー」を出すというカフェで、ゴリラのようなガツンとくるはずのコーヒーを飲んでいる。

半分くらい飲んでしまったのだが、まだゴリラがくる気配はない。
……あ、そういう事じゃないか。
「ゴリラのようなガツンとしたなにか」がくる、ということだ。そりゃそうだ。

たいして混んでいるわけでもない店内で、突然、
「ここ、あいてるかな」
と聞かれる。
携帯を見ていた僕が顔を上げると、視界に入ってくるのは、ゴリラ。
僕はきっと驚いて、つい、
「どうぞ」
などと言ってしまうだろう。
「他にも席はたくさんあいてますよ」というようなコメントがとっさにすらすら出てくるような、まっとうな大人になりたいものだ、などと思いながら、少し、世間話くらいするかもしれない。

「あのさ」
なんですか。
「うちのコーヒーのことなんだけど」
あ、ここってあなたの店なんですか?
「……あれ、店名見ないで入っちゃった?」
あ、ゴリラコーヒー。なるほど。
「で、うちのコーヒーなんだけど」
はい。
「どう、ガツンときた?」
……。
「こない?」
いや、正直なところ、ゴリラのようにガツンとした、というイメージがわかなくて……。
「ピンとこないって言ってる?」
ごめんなさい。
「いや、あやまらなくてもいいよ。頭とか下げられちゃうと、こっちが一方的にいじめてるみたいに見えるしさ」
そんなことないと思いますけど。
「君はたぶん、今日はじめてゴリラと会話をしたんだろう? だからまだわからないかもしれないけど、ゴリラと人間のコミュニケーションについては、なかなか埋められない溝のようなものがあってね」
大変そうですね。
「まあ、ぼちぼちやっていくしかないね。あまり長々話すのも悪いから、そろそろ退散するけど、最後に質問してもいいかな」
どうぞ。
「ガツン、がピンとこないなら、他に何かいい言葉はないかな」
ウホーとか?
「……」
……。
「それ、言葉っていうか、鳴き声だよね」
あ、そうか。
「それに、我々はウホーなんて鳴かないよ。……なんなら実演しようか?」
いや、けっこうです。
「このへんがさ、溝なんだよね。それはそうと、長い時間悪かったね。また来てよ」

そう言ってゴリラは去っていったのであった。
あ、店内のBGMの音量は、もうちょっと絞った方がいいかもしれませんよって言っておけば良かった。