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平熱通信

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

大人になりましょう。

雑記

僕にとっての大人とは、一皿のミックスナッツでちびちびお酒が飲める人である。

 

例えば、夜中にひとりでDVDを観る、とか、本を読む、というような場合。

傍らには小皿に入ったミックスナッツと、缶入りハイボール

物語を楽しみながら、時々、少しだけ気持ちがそらせるところでミックスナッツをひとつまみかじり、ハイボールをちびっと飲む。その後、再び物語の世界に戻っていく。

そういう、物語世界と現実世界の往復を何度か繰り返し、だいたい2時間後くらい、つまり、映画は終わり、本は一区切り、というあたりで小皿と缶が空になっている。

 

なんて大人っぽいんだ。

いや、そう思わない人もいるかもしれないけど、少なくとも僕のイメージでは、これはけっこう大人度の高いふるまいなのである。

ところが、これができない。

そもそも、ナッツ類が好きだというのがいけないのかもしれない。サーティワン・アイスクリームで一番好きなのがナッツ・トゥ・ユーという嗜好がいけないのかもしれない。

 

例えば、夜中にひとりでDVDを観る、とか、本を読む、というような場合。

傍らには小皿に入ったミックスナッツと、缶入りハイボール

物語を楽しみながら、時々、少しだけ気持ちがそらせるところでミックスナッツをひとつまみかじり、ハイボールをちびっと飲む。その後、再び物語の世界に戻っていく。

最初のうちは、これがわりとうまくできているのだ。

そのうち、物語にのめり込んできたあたりから異変が起きる。

物語にのめり込みたい→なるべく目をそらしたくない→つまり飲食の回数を減らしたい。

という心情と、

やっぱりナッツはうめえなあ。

という感慨が合体し、その結果、

画面を見ながら小皿をつかみ、皿からざらざらと直接ナッツを口内に流し込む。

という状況を作り出してしまうのだ。ナッツを一度に大量に食べるからか喉が渇いてしまい、ハイボールの減りもハンパない。下手をすると、映画の開始後30分後くらいに、小皿もハイボールも空になったりする。

これのどこが大人っぽいというのだ。

酒飲んでるんだから大人じゃん、という話ではないのである。

 

しょうがないから画面を止めて、冷蔵庫までハイボールを取りに行き、ミックスナッツの補充をする。酒の量が増える分、トイレに行きたくなるリスクも高くなる。

画面の中では、何か言おうとしていたのに静止させられてしまった主人公がこちらを見ている。気のせいかもしれないけど、時々、責めるような眼差しに見えるときがあるので、そういうときはとりあえずあやまることにしている。

 

よくよく思い出してみると、こういうこともあった。

チョコレートを食べようとして、ふと、あ、コーヒーもいれよう、と思うことがある。

コーヒーメーカーのスイッチを入れて、コーヒーができあがるのをしばらく待つ。

その待ち時間に、ついチョコレートを食べてしまうのだ。それもほぼ無意識に。

 

コーヒーをカップに注ぎ、さてチョコレート、と思ったときに、ない。

あたりを見回すと愛犬と目が合う。首を横にぶんぶんと振る犬。私ではありません、といいたいのだろう。

それじゃあれか、つまりどこからか現れた敏腕マジシャンの華麗なるトリック的なものに翻弄されているのか。

そう思うのと同じかやや速いくらいの速度で、そんなわけないだろう、という別の心の声が聞こえる。

 

とまあ、いろいろ書いたけど、つまりは食い意地が張っているということなのだろう。

「食い意地が張っている」って、一番大人っぽさから遠い言葉のひとつなのではあるまいか。

大人への道は遠い。

20年生きてればもれなくなれるというものではないのである。