平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

はてしない物語。

買ったはいいものの、ちょっと読んだら「あまりにも面白そう」なのでびびってしまい、その後を読み進めることができなくなる、という本がある。

これは、映画やドラマなんかでも同様で、録画した映画なりドラマをちょっと観てみたら「あまりにも面白そう」なのでびびってしまい、そのまま停止ボタンを押してしまうことがある。

びびるなよ、と言いたい。

言いたいどころか、ちょくちょく言ってはいるのだが(もちろん心の中でですが)、これがなかなか治らない。

 

そもそも、面白そうだとびびるというのはどういうことだ。

本でも映画でも、物語はいつか終わる。『ネバー・エンディング・ストーリー』なんてタイトルがついていても、それが本や映画という形態である以上、終わらないということはあり得ない。すんごく面白いけど終わらない映画なんてものがもしも存在したら、とても困るじゃないですか。いつトイレに行けばいいんですか。

……そういうことなのかもしれない。

あまりにも面白い物語に触れてしまうと、それがいつか終わってしまうことが淋しくて、びびってしまうのかもしれない。そういう風に考えると思い当たるフシがないでもない。

……なんてココロが弱いんだ。

しっかりしなさい、自分。

 

ということで、僕の会社用のカバンには、開かれなくなって二か月が経過した文庫本が入っている。毎日、昼休みになると休憩室まで持っていき、昼休みが終了すると、そのまま持って帰ってくる。ページは今日もめくられない。

 

とはいえ。

心境の変化なのか、環境の変化なのか、いつかなにかのきっかけで、僕は物語を再びはじめることになる。結局はいつもそうなのだ。いつかは、物語の先をみたいという好奇心が、びびった気持ちを抑え込むことになる。

 

物語は、それを待っていてくれる。

ページを開き、物語の中に再び入り込んだとき、主人公は僕に言うだろう。

「ずいぶん待ったよ。準備はいいかい?」

僕は申し訳ない気持ちになりながら、伏し目がちに、

うん。もう大丈夫

と答える。

主人公はこんなことも言うかもしれない。

「君は、ここから先、僕らがとんでもなく不幸になると思っているんだろう?」

僕は黙って頷く。ずっと、そういう気がしていたのだ。お気に入りの登場人物たちが、大変なことになりそうな予感。

「今、この時点の僕には、先のことはわからないけど……でも、心配することはないんじゃないかな」

主人公は、どこか遠くを見るような目付きで、こうも言うのだ。

「どんな結末を迎えようと、僕らはまたはじめることができるから」

 

↑こういう、変に思い込みの強い本の読み方がいけないのかもしれない。

なんか今、すごくそう思った。