マイ・フェイバリット・シングス。
会社からの帰り道、自宅近くの歩道で、街路樹のそばにたたずむ男性がひとり。
そこは住宅街で、家から出かける人、家に帰る人が通るような道なのである。ゴミの集積所、自動販売機などもなく、大人がぽつりと立っているにはやや不似合いな場所だ。車もあまり通らず、その時に聞こえていたのはセミの声だけ。音が近いから、街路樹の下のほうにいるのかもしれない。
この男性はなにをしているんだろう。
僕は、思いつくままその可能性を箇条書きにしてみた。
①いわゆる『ポケモンGO』の人。
②僕の命を狙っている敵国の超能力者。
えーと、あと何か思いつかないかな、などと思っているうちに、だんだんと男性との距離が近くなる。よく見ると、彼はこちらのほうではなく、街路樹のほうを向いている。
③街路樹をトイレがわりに使おうとしている人。
可能性としてはなくはない。
と、その時。
彼はゆっくりとした動作で、右手を顔のやや上の位置まで上げ、そのまま手のひらを街路樹の幹にあてた。
あたりに響いていたセミの声がこもったように小さくなる。
そしてまたゆっくりと手のひらを内側に丸めるようにして、彼はそのまま右手をズボンのポケットにしまう。
なおいっそう小さくなるセミの声。
その声は、もはや街路樹からは聞こえない。
④セミ捕り名人。
彼の輪郭が少し緩む。一仕事を終えて安心したのだろうか。
僕は虫捕りについて詳しい知識を持っていないが、こんなゆっくりとした、おだやかなセミ捕りを見たのははじめてだ。
彼はゆっくりと振り向き、僕と目が合った。
そして彼がどうしたかというと、小走りでその場を立ち去ったのであった。ここまでのゆったりした動きからはちょっと想像できないような、あわただしい動きであった。
さて。
ここでちょっと気になるのは、彼はそのセミをどうするのだ、ということだろう。
捕獲したセミを無造作にポケットに入れているくらいだから、無傷のまま生け捕りにして自宅で飼う、という可能性は低いだろう(というか、セミって自宅で飼えるのだろうか)。
ひょっとすると、食べるのだろうか。
沖縄だかどこだったか、セミを食べる地方がある、という話を聞いたことがある。
故郷で食べたあの味を、東京でも味わいたい。
そう思った人が、こっそりと食材の確保をしているところに出くわした……可能性としてはなくはない。
いろいろな場所でいろいろなものを食べているのが人間だ。好きなものを好きなように食べるという行為に、誰もケチはつけられない。とはいいつつも、東京では肩身の狭い嗜好だとは思うので、もしも食材として確保したのであれば、なんというか、美味しく賞味できるといいですね、と思う。
他人にはちょっと説明しづらいというか、人によっては「マジかよ信じらんない」という反応をされてしまう好物というのは意外とよくあるものだ。
僕の弟は焼き魚の目玉が好物だったし、高校の頃の友人に「風呂に入ったときに、バスタブのお湯を一口飲むのが好き」というのもいた。
どちらも僕の嗜好にはハマらないものの、それはただそれだけのことで、好きな人は好きなだけ食うたらええやんけ、とは思う。バスタブのお湯を食物にカウントしていいのかどうか、難しいところではあるけれど。
かくいう僕は、「アメリカンドッグの棒付近に付いている固くなった衣」をカリコリとかじるのが大好きなのだが、これについて熱く説明してもなかなか理解されることがない(そもそもアメリカンドッグの説明からしないといけないときもあるくらいだ)。
この慎ましやかな美味しさをわかってもらえないのは残念だが、最近はひそやかな趣味としてこっそりカリコリしている。
そもそも、アメリカンドッグってご存知ですか?
ソーセージを串に刺して、ホットケーキ生地みたいな衣をつけてふんわりと揚げた物です。どこのコンビニにもあるようなので、それなりにメジャーなものだとは思うのだが、不思議とすぐには伝わらないことが多いのだ。
まあ、大の大人が食べるものではないということなのだろうけど、美味しいと思うんだけどなあ。カリコリ。