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平熱通信

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

私の中のもうひとりの私。

昨日、カリコリとした食べ物のことを考えていて思い出したのだが、アーモンドチョコレートをそのままガリガリと食べるようになったとき、大人になったなあ、と感じたものだ。

 

もう一度書きましょう。

 

アーモンドチョコレートをそのままガリガリと食べるようになったとき、大人になったなあ、と感じたものだ。

↑この部分を読んでピンとこない人は、これから僕が書くことについて、きっと笑うのだろうなと思う。そう、あの時の彼女のように。

 

つまりそれはこういうことだ。

僕はずっと、アーモンドチョコレートはアーモンドとチョコレートを分別して食べていたのである。アーモンドチョコレートを口内に投入した後、まずチョコレートを溶かして摂取し、その後、残ったアーモンドをカリコリとかじるのだ。

子供の頃などは、溶け残りのチョコレートがアーモンドに付着していないか確認する為に、一度口内から出して点検したりもしたものだ。

 

このお作法について異議を唱えられたのは、会社に入って2年目のことである。休憩時間にアーモンドチョコレートを食べていたところ、

「なぜアーモンドチョコレートを食べるのにそんなに時間がかかるのか」

と、一緒に休憩をしていたメンバーのひとりに指摘されたのだ。指摘したのは僕にアーモンドチョコレートをくれた人で、いつまでも口の中でアーモンドチョコレートを転がしている僕に違和感を感じたようなのである。

僕は、自分のお作法を彼女(そういえば年下の女の子だった)に説明した。そういうわけで、より純度の高いアーモンドを取り出すために、少し時間がかかるのだ、と。

「それは絶対におかしいって」

子供の頃から守り続けていた僕のお作法は即座に全否定された。

「だって、分けて食べたらアーモンドチョコレートにならないじゃん。それって、ただのアーモンドとチョコレートでしょ」

そういうと彼女はとても面白そうに大笑いした。目尻に涙くらい浮かんでいたかもしれない。今だったら「ガチうける」とか言っていたかもしれない。

たった一度の人生なのである。どうせなら楽しく笑って過ごしたい。

そういう意味では、彼女の人生のほんの一瞬であるにせよ、いい時間を提供できたといっていい。これは僕にとっても喜ばしいことだ。微力ながら、彼女の人生の役に立ったのだ。

 

この出来事は、その後の僕の人生に少し影響を与えることになる。これ以降、僕は、アーモンドチョコレートの食べ方を、食べる場所によって変えることにしたのである。ひとりでこっそり食べるときには、お作法に則ってゆっくりと。そうでないときは、男らしくガリガリと。

 ダブルスタンダードというか、二枚舌というか、大人の振る舞いというやつだ。

 

今でも、アーモンドチョコレートは口内分別方式で食べた方が美味しいと思っている。口内分別方式は、アーモンドとチョコレートを別々に買ってきて、同時に食べるという行為とは明らかに違うのだ。

しかし、僕がそれを声高に主張することはない。

なぜなら僕は、あの時より少し、大人になったのだ。