平熱通信

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

窓から花火が見える夜。

今夜はわりと近くで花火大会があって、僕が住むマンションの窓からそれを見ることができる。

といってもそれはあくまで「わりと近く」なりの花火大会なのである。

これが「すごく近く」とか「もはや現地」とかだったら、窓からはみ出すほどの大迫力花火が見えたりするのだろうけれど、我が家の窓から見える花火はもっともっと慎ましやかなものだ。

その大きさはというと……500円玉じゃ小さすぎるか。チップスターくらいか、いや、歌舞伎揚げくらいには見えるのでは。CDシングルの直径くらいに見えるときもあるし、通常のCDくらいに見えるときもあるような……っていうか、CDシングルなんて言い方、今は通用しないんだろうなあ。

などとしばらく考えた後、目の前にある500円玉と、腕を伸ばせるだけ伸ばした先にある500円玉の大きさは全然違うように見えるという、当たり前すぎるほど当たり前のことに気付く。つまり、花火の大きさを何かのサイズに例えようとしても、その「何か」がそもそもどれくらいの大きさで見えているのか、一定していないのだ。

人によっては「なんだよ500円玉程度かよ、フッ」となるだろうし、「500円玉ってマジヤバクない?ガチヤバクない?えーそれ超スゲーんですけど」と思う人もいる……ハズだ。

花火が上がる。

しばらくすると、小さく「どん」という音が聞こえる。光の伝わる速さと音の伝わる速さが違うから、花火が開いた瞬間と、その爆発音が耳に届く瞬間にタイムラグが起きる。光の速さは1秒で地球7回り半。音の速さは1秒でえーと、300メートル台。

ということは、花火が光った瞬間から「どん」が聞こえた瞬間までの時間を計測することができれば、ここから花火までの直線距離を計算することができる。

……みたいな理科っぽい話は、どちらかというと男の子が好きな話題なのだろうか。

女子会とかでこういう話って出ることがあるのかな。まあ、女子会といってもいろいろだろうからなあ。安易にひとくくりにしてはいけません。

 

……などと、どうでもいいようなことを考えながら花火を見る。

ゆでたとうもろこしを食べながら、ビールを飲む。

だんだん眠くなってくる。

お酒を飲んで眠くなると、つい思い出してしまうセリフがある。

「楽しい思いをさせていただきました。このまま幸せに、ゆるゆると朽ち果ててまいりましょう」『美貌の果実』(川原泉・著)

このセリフを言った人(人?)は、別にビールを飲みながら花火大会を見ていたわけではない。彼の人生にとってもっと大事な瞬間に、微笑みながら言うのである。だからまあ、酔っぱらって眠たくなったくらいで思い出すのも失礼な話なのだが、こういう時になるとついつい思い出してしまう。

花火が上がる。

キラキラと光る。

ほろほろと消える。

また花火があがる。

キラキラと光る。

ほろほろと消える。

またまた花火があがる。

でもいつかは終わる。

そのさみしさも含めて、花火を見るのは楽しい。