平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

渋谷。

渋谷というところにはあまり縁がなく、ただなんとなく「若者の街」とか「流行の発信地(今でもそうなのかな)」とか「なんか妙に道に迷いやすくないですか?」とか、その程度の印象しかない。いつ行ってもなにやらゴチャゴチャしていて、なんとも落ち着かない街なのである。根が怠け者だから、何かを発信しているような勢いのある街は疲れてしまうのかもしれない。

それはそれとして。
渋谷系」という、大昔、日本人がまだチョンマゲをしていた頃にちょいと流行った言葉がある。ものすごくおおざっぱに説明するなら、「音楽の聴き方のひとつ」ということになるのだろうか。今、一般的に使われている言葉なのかどうか知らないが、携帯の国語辞書アプリに収録されていたので、一時的な流行語ではなかったのだろう。
この「渋谷系」という言葉の意味を説明するのはちょっと難しい……というか、説明できないわけではないけど、説明してもきちっと納得できないかもなあ、と思わなくもないのは、国語辞典やネット上の辞書サイトなどに書いてある「渋谷系」の解説が、こんな感じなのである。

・解説その1
しぶやけい【渋谷系
①1990年(平成2)頃から渋谷を発信地に流行した音楽。60年代以降の広いジャンルの洋楽の影響を受け、それらをサンプリングしたものが多い。渋谷系音楽。

・解説その2
渋谷系(しぶやけい、シブヤ系とも)
若しくは渋谷系サウンド。東京・渋谷(渋谷区宇田川町界隈)を発信地として1990年代に流行した日本のポピュラー音楽(J-POP)の一部の傾向を分類化したものである。明確な定義が存在しない。
(どちらも抜粋。加筆あり)

僕はかつてその時代を潜り抜けてきた人間なので、なんとなくニュアンスはわかるのだが、これ、まっさらな気持ちで読んで、腑に落ちるものなのだろうか。といって、解説文が下手なのかというとそんなことはなく、こういう説明しかできないだろうな、という気もする(渋谷系サウンドなんて言い方ありましたっけ、という素朴な疑問はなくもないのだが)。

で、僕はその「渋谷系」なる音楽の聴き方に、その昔、けっこうハマってしまったのである。
「どんな音楽聴いているんですか?」と、もしも誰かに聞かれたら、
「ええ、渋谷系を少々……」
と答えざるを得ない人間なのである。これがちょっと恥ずかしいのだ。
そもそも、発信地は渋谷かもしれないが、当時、僕がそれを受信していたのは埼玉県熊谷市だったり、東京都青梅市だったりしたのである。なんというかこの、そこはかとなく漂う「経歴詐称」感といいましょうか。渋谷に遊びに行くこともないインドア派の人間が、「渋谷系ってのはね」などと言っていいものかどうか。
あと、今となっては言葉の響きが若干チャラいような気がしないわけでもない。そうでもないか。

これはとてもとても個人的な見解、というか、感想というか、取るに足らないつぶやきのようなものなのだけれど、僕にとって「渋谷系」とは、

「まあとりあえず、面白いかもしれないから聴いてみるか」

という音楽の聴き方で、それはつまりどういうことかというと、自分の聴く音楽をジャンルで考えない、ということなのである。「ロックしか聴かん」とか「テクノだけあればいい」とか「演歌命」とか「ヘビメタ以外死ね」とか「アイドル以外マジありえない」とかいうことではなく、「面白そうならとりあえず聴いてみる」という姿勢とでもいいましょうか。世の中には、けっこう色々な音楽があって、色々な人がそれを支持している。その中には、「これの良さがよくわからない」というものもあるんだけど、そうした音楽を作る人も、聴く人もそれなりにいるということを知ることで、「うーむ、世界は広いなあ」と思えたりする。これをもっと大げさに解釈すると、世の中は広く、自分の知っていることはその一部で、世の中に価値のないものって、そんなにはないんじゃないだろうか(つまり、僕にとって価値のないものが、誰かにとってとてつもない大事なものかもしれない)、というようなことを薄ぼんやりと(無意識のうちに)感じたりする……いや、あくまで大げさにいうと、なんですけど。

こういう感覚は、その後の僕のものの考え方に少なからず影響を与えているような気がする。
「あれもこれも、いいところってありますよね」みたいな考え方って、優柔不断に見えちゃうんですけどね。