平熱通信

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

大脱走は終わらない。

雨ですねえ。雨が降るとなんだかいろいろめんどくさい気持ちになりますねえ。それでは映画でも観ますかねえ。あれは目を開けて画面を観ていればいいから、こういう日にはぴったりですねえ。……という脳内会議の決議に従い、うんと昔に録画してそのまま放置していた『大脱走』を観る。
50年以上前に作られた3時間近くある映画なのだが、やはりというかなんというか、面白いのである。
第二次大戦中、ドイツの捕虜収容所に送られた連合軍の軍人たちが、まあ、タイトルにある通り脱走するのである。それもひとりやふたりではなく、270人(250人だったかな)だ。そりゃあタイトルに「大」の字を付けたくもなる。
人数が人数だけに長期的かつ綿密な計画を立て、当たり前だがこっそりとそれを遂行する。
計画にトラブルは発生しないか、収容所の看守にばれやしないか等々、ハラハラするところは盛りだくさんだし、そもそもどうやって脱走するのか、という手順や、登場人物たちの「仕事」ぶりにもワクワクする。
戦闘シーンがないとはいえ戦争映画なので、悲しいシーンも少しあったりするのだが、そういうシーン以外は基本的にトーンは明るめで、少しコメディのような雰囲気もある(そもそも、テーマソングが『大脱走のマーチ』なのである。あの、悲壮感のかけらもない、あの曲だ)。

そういえば、僕はこういう、ちょっと笑えるような要素のある映画やドラマが好きなのだ。
クリストファー・リーブの)『スーパーマン』だって、『ツイン・ピークス』だって、『椿三十郎』だって、コメディ映画(ドラマ)ではないけれど、ものすごく笑えるシーンがいくつか含まれている。僕の中のヒーローたちは、強かったり頭がよかったりというようなヒーロー要素に加え、ちょっと笑わせてくれるのである。『マン・オブ・スティール』からはじまった最新のスーパーマンさんは、そこらへんがちょっと残念ではあるのだが、作品のトーンが暗めだからしょうがないのかもしれない。ただ、これは個人的な好みの問題だが、スーパーマン、いや、少なくとも、スーパーマンに変身する前のクラーク・ケントは、眉間にしわを寄せっぱなしというのはやはり似合わないように思う。

なにやら話がそれてしまった。『大脱走』の話をしていたのである。
250名(270名だったかな)の脱走計画は、主演俳優スティーブ・マックイーンのちょっと笑えるシーンで終わる。といっても、小粋なジョークを飛ばすわけでもなく、変顔をするわけでもなく(当たり前だ)、彼にとっては普通の、いつもやっていることを、カッコよくやっているだけなのだ。それが、この映画に3時間も付き合ってきた、もはや共犯者といってもいい僕には、とてもとても面白い。
笑えるんだけど、カッコいい。そういう映画なのである。

……とはいいつつも、やはりそれなりに古い映画だったりするので、「みんな今すぐ観るといいよ」とは言えないような気もする。古い映画を観るには、古い映画を観る力が必要なのだ。
力といっても、事前の勉強が必要だ……というような、そういう大げさなものではない。要は、ある程度の「慣れ」が必要なのである。
映画は、作られた時代によって、スタンダードな作り方が少し違っていたりする。
その時代の演技法、その時代のセリフまわし、その時代の編集、その時代のストーリー展開、その時代の演出。
作られた時代において最善と思われる作り方で映画は作られるのだが、それが今の方法とぴったり一致するかというとそうでもなく、そこらへんが、今の時代に生きる僕たちにとってはちょっとした違和感になることがある。
ただ、そうはいっても映画は映画なので、慣れてしまえば気にならなくなる程度の話だ。
たとえば、古い映画を古い吹き替えで観たりすると、
「オイオイ、馬鹿言ってもらっちゃ困るネ」
とか、
「えーい、こんチクショウめ!!」
というようなセリフに出くわすことがあるのだが、これを指して、「会話にリアリティがなく観ていられない」というような意味で怒ったりバカにするのはちょっと早計だ、ということだ。
まあ、ある程度その世界のお作法を知ったほうが楽しめますよ、というのは、けっこういろいろなことで言えるのかもしれない。例えば、歌舞伎や落語を楽しむとか、スポーツを観戦するとか。
オリンピックの時期のスポーツニュースを見る度に、これ、ルールを知ってたらもっと面白く理解できるんだろうなあ、と思うあの感じだ。

ところで、僕が『大脱走』を観ているときに、娘が「何観てるの?」と聞いてきたのである。僕が、映画のタイトルと、補足情報として、50年くらい前の映画であることを伝えると、心底驚いた様子で、
「50年前って、映画、カラーだったの?」
と言い、その上、
「てゆうか、お父さんが生まれた時代って、テレビはまだ白黒だったんだよね」
と言い放ったのであった。なんという雑な歴史認識だ。まあ、現役JKの感覚では、僕が生まれた頃なんてそれくらい昔なのかもしれない。
そういえば、彼女がまだ幼稚園に通っているころ、
「お父さんが子供のころにはお侍さんがいてね。あ、このへんにはいなかったんだけど、じーじやばーばが住んでる青梅あたりにはまだいたんだよね、絶滅寸前だったけど。絶滅って意味わかる?」
みたいなことをわりと真顔で吹き込んでいたような気もする。もしかすると、彼女の歴史認識が歪んだ原因の一端は僕にあるのかもしれない。