平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

それもまた秋の季語。

「9月も終わりだなあ」
「さすがにもう涼しくなってくるんですかね」
「コンビニでおでんがはじまったしなあ、いよいよ秋だよ」
「え、コンビニのおでんって、一年中ありませんでしたっけ?」

……というような話の流れのあと、ついうっかり、

「僕、おでんだとちくわぶが一番好きなんです」

……などと言ってしまい、周囲の人々に馬鹿にされる。
毎年の定例行事だ。これが終わると、いよいよ秋到来、という気分になる。

それにしてもちくわぶはかわいそうな食品だ。
少なくとも僕のまわりでは、好きだという人を見たことがない。

「まあ、あれば食べないこともないけど、買ってまで食べるものじゃないかな」

というような反応をする人が多い不遇なやつだ。
それどころか、食品と見なしていない人もいて、そういう人に「食品じゃないのなら、ちくわぶとはいったい何なのだ」と逆に質問したところ、「粘土」と答えられたことがある。
粘土はあんまりじゃないか、という気もするが、たしかに、ちくわぶというのは実に色気のない、というか見栄えのしない食品ではある。
おそらく関東ローカルのものだろうから知らない人も多いし、とてつもなく美味いのかというとそういうものでもないので積極的に同志を増やそうとも思わないのだが、不思議なことにその不人気ぶりのわりには(おそらく関東であれば)どこのコンビニにも置いてある定番でもある(と思う)。

(少なくとも僕のまわりでは)「買ってまで食べるものではない」という評判のちくわぶが、コンビニのおでん売り場でどんな扱いを受けているのかと思うと心配になってくる。
深夜、買い手のつかなかったちくわぶが、どろどろになった状態でおでん鍋の底にたまっている。それをアルバイト店員が面倒くさそうに取り除き、一言、

「粘土め」

とつぶやく。
……みたいなことを考えると、なんだかとてもいたたまれない気持ちになる。
少なくとも僕はちくわぶが大好きなのだ。とてつもなく美味いとはいわないが、好きな人にはたまらない魅力があると思う。この気持ちだけは、ごまかしたり隠したりすることなく、忘れずにいようと思う。
たとえ、どんなに笑われても……。

それはそれとして。
ちくわぶとか焼き芋の皮とかアメリカン・ドッグのコリコリ部分とか、なんというか、自分の好きな食べ物の傾向がちょっと問題ありのような気がしないでもない。
なんかこう、セレブとかリア充とかいう言葉の反対の意味合いた。うまく言葉にすることができないが、これ、なんていえばいいのだろう。