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平熱通信

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

前後不覚で五里霧中。

ここにこういう文章を書きはじめてそこそこ日数が経つわりには、書いた文章の出来がいまだによくわからない。
下手は下手なりに、「今日はわりとうまく書けた」とか「今日はイマイチだった」とか、そういうことがわかるといいのだが、よくわからないのだ。
時々、「今日は小説っぽく書いてみよう」とか「今日はエッセイ風に書いてみよう」とか「今日はいわゆるブログらしく書いてみよう」というようなささやかな実験をしてみるのだが、実験の結果がうまくいったのかどうか、これまたさっぱりわからない。
(ちなみに、極端にダメな日というのもあって、それはすぐわかる)

もしかすると、そこそこ達成感があるのがいけないのかもしれない。
書くことを探すのに苦労した日は、少ない材料でなんとか書ききったという達成感。
反対に、書くことがあり過ぎる日は、長くなりすぎないようになんとか要約したことへの達成感。
どちらにせよ、「なんとかできました」という達成感がジャマをしているのかもしれない。期末テスト期間の最終日のようなものだ。テストの出来はともかく、この期間を過ごし切ったという達成感でテンションがあがるあの感じだ。

とはいえ、ブログの記事を書くアプリに採点機能みたいなものが実装されて、文章を書いたあとに「公開」ボタンを押すと、
「コノ文章ハ公開デキルれべるデハアリマセンガ、シカタナク公開シマス。30点」
……などと表示されたりするのもなかなか大変そうだ。

言葉を組み合わせて文章を作るという作業はなかなか面白い。僕の場合、どうしても「ない知恵を絞って」という感じになってしまうので、それなりに疲れることも多いのだが、好きな作業といっていいだろう(それがたとえ「ちくわぶが好きなんです」というような内容だったとしても)。
だからまあ、「今日もなんとか書けました」という時点でそれなりに満足はしているのだが、例えばジョギングを趣味としている人が、「昨日よりもちょっといいタイムになったぞ」と確認するような、そういう動作に少し憧れたりもするのである。時々ですが。

それにしても。
コンピュータが発するセリフ(コノ文章ハ公開デキルれべるデハアリマセン……)をついカタカナで書いてしまう自分に軽く驚いてしまった。さすが昭和世代。