平熱通信

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

革靴の中のレジスタンス。

靴下がぼくを困らせる。

もうずっと長いことはいていたから、ゴムがゆるくなるのはわかる。それが経年劣化というものだ。

人間だって、機械だって、靴下だって、長いこと生きていればガタがくるのだ。

それはもう、覚悟して迎えなければいけないことなのだ。

問題は、経年劣化靴下の中に時折あらわれる、反抗する靴下なのである。

ゴムがゆるんだ靴下が、ふくらはぎをホールドできなくなって、かかと近辺まで落ちてくるのはわかる。万有引力の法則というやつだ。

「すまん、オレ、もうお前のふくらはぎを守れなくなった」

みたいな状態の靴下であれば、

「いいんだ。お前はよくがんばった。お疲れ様」

くらいのことは言えるのである。それがお気に入りの靴下であれば、目尻に涙すら浮かぶかもしれない。

ところがだ。

反抗する靴下ときたら、ふくらはぎからかかとを通り越して、土踏まずあたりまで落ちていくのである。

いや、かかとを通り越したところから横移動になるので、落ちていくという表現はおかしい。おかしいけど、他に何といっていいのかわからない。

だいたい横移動ってなによ。それはもう、自然現象ではなく、靴下の意思からくる行動ではないか。

ひょっとすると、自分の最期を意識した瞬間、靴下はこう思ったのかもしれない。

「オレは、本当はこんなおっさんの足なんか包みたくなかった」

「オレは、本当はもっと可愛い女子の足を包みたかった。生駒里奈ちゃんとか」

で、自分に残った力を振り絞って、持ち主であるぼくに反乱を企てているのかもしれない。

「おっさんのお前に」

生駒里奈ちゃんじゃないお前に」

「土踏まずまで靴下が脱げたときの、中途半端にいやあな気持ちを味あわせてやる!」

おっさんが会社にはいていくような靴下が、生駒里奈ちゃんに使ってもらえる可能性は限りなく低く(ましてユニクロ製3足990円だし)、そういう意味では逆恨みもいいところなのだが、己の命の火が消えそうなとき、人生を振り返り、落胆し、自暴自棄になる感じはわからなくはない。ぼくだって同じ立場だったらそうするかもしれない。

とにもかくにも、何度引っ張り上げても脱げていく靴下には逆らわない。

これがぼくが出した結論である。だって、何度も何度も引っ張るのって面倒なんだもの。

たとえば会社で仕事をしているとき、革靴をはいているぼくのかかとが丸出しになっていることがあるとする。

そんなときは、見えないところで小さなレジスタンスが起きているのである。