バッド・コミュニケーション。
LINEが上手になりたいと思う。
どういう時に思うかというと、会話をどこで終わらせていいかわからなくなるときだ。
具体的にいうと、相手が何かを言ってきたら、つい、返事をしてしまうのだ。
例えば相手が、「今回はこれでおしまい。これに返信してきたら処罰する」とか書いてくれれば、「あ、終わったんだな」と思えるのだけど、これが「それじゃあね。最近急に暑くなったりして体調崩したりしやすいけど、風邪とかひかないように」みたいな内容だとどうしていいのかわからなくなる。
そこに至るまでの話の流れから考えて、そろそろこの会話は終わらせたほうがいいという雰囲気はつかめている。なので、このメッセージも多分に社交辞令的な意味合いが強く、おそらく、このまま何もしないのが正解なのだろう。
とは思いつつも、つい、「ひょっとして、本気で僕の体調を心配してくれているのかもしれない」などと思ってしまうのだ。
するとですね、こちらとしても、それ相応のメッセージを返したほうがいいのではなかろうか、と誤解してしまうのである。心配してくれたお礼を含めつつ相手の体調も気づかい、できればそこにスプーン一杯分くらいのユーモアも混ぜ込みたい。
……そんな気の利いたメッセージが会社帰りの山手線でつり革にぶら下がっているような状態のときに思いつくはずもなく、結果として、無駄に長く、内容がまとまらず、下手すれば支離滅裂な文字列を送信してしまうのだ。
そのせいというのもあるのだろうけど、僕のLINEのメッセージは平均的に長い。
何人かでグループチャットをしていると、みんな1行や2行のメッセージで小気味よく会話をしているのに、僕だけがもっさりと長い。みんなのメッセージの吹き出しは、例えるならばラインマーカーで線を引いたくらい、もしくは、バンドエイドくらいの横長の四角形に見えるのだが、僕のメッセージの吹き出しは正方形だったり、やたらと縦に長い長方形になってしまうのだ。ちょっと離れたところから見た印象としては、僕の吹き出しはぬり壁の輪郭に似ている。
内容を短くまとめる自信がないからか、あれもこれも書きすぎるのだ。あれこれ書いてそれでも足りないとなると、そのメッセージにちなんだ画像をネットで見つけてきて参考画像として一緒にアップしたりする。我ながらくどい。
コミュニケーション能力への自信のなさと根っからの心配性が悪い方向でコラボレーションしている。
まあ、思い返してみると、LINEの前はメール、メールの前は長電話と、その時代時代に応じて同じような弱点を抱えたまま生きているようなところもあるので、けっこう根が深い問題なのかもしれない。
もしかしたら、やることに無駄が多い、というところにちょっとした意味のようなものを感じているのかもしれない。無駄、ガラクタ、本当は不必要なもの。そういったものへのシンパシーというか。
そう、僕はガラクタばかり作る工場の工場長。え、その工場はどこにあるのかって?
……あ、ごめんなさい、この文章をどう終わらせていいのかわからなくなったので、つい口から出まかせを書いてしまいました。こういうところを治さないとな。