平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

二人の外国人に謝りたいのだ。~『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』について。

インデペンデンス・デイ:リサージェンス』という映画は、実はなかなか面白いのであった。
「実は」ってなんだよ、面白くて当然だろ、と思う方は大変多いと思う。現に大ヒットしているようだし。
それでもなおかつ、「実は」という言い方をしてしまうのは、前作であるところの『インデペンデンス・デイ』が、個人的にはそんなに、というか、全然、というか、とにかくまったくもって面白くなかったからなのだ。
前作の感想を一行で書くと、

「ひどいよ、あんまりだよ、そんなのってないよ」

という感じだったのである。
まあ、映画の感想なんて観た時のコンディションで全然変わることもあるし、なにせ20年も前の事だし、今また観なおしてみると感想も変わるのかもしれない。ネットでちょっと調べてみても、「『~リサージェンス』も面白かったけど、前作は超えてない」というような感想を持っている人もいるようだし。

だから、これはあくまで「当時の僕にとっては」ということになるのだが、どれくらい前作の印象がよくなかったかというと、映画館で『~リサージェンス』を観ているとき、意外なほど面白かったので、「あ、前作と監督が違うんだ」と思ったくらいだ。なにせ20年ぶりの新作である。監督が違うなんてことはよくある話ではないか。
2時間後、エンドクレジットの監督名に前作の監督でもあるローランド・エメリッヒの名前を見つけたときには、大変申し訳ない気持ちになってしまった。その節はすみませんでした。

それにしても、20年ぶりの続編であるにもかかわらず、主要キャストがほとんどそのまま続投しているのいうのはすごい。シリーズものの映画において、これは大変喜ばしいことである。おなじみのアイツにまた会える、というのは観る側にとって大きな楽しみだ。

「その中でも、元大統領役のビル・プルマンはえらい」
と、映画館で僕は思ったのである。
「いまや立派なアカデミー賞俳優なのに、ちゃんとこういうSFアクション映画にも出るんだから、ビル・プルマンはえらい。楽しみにしているお客さんのことをよくわかっている」
アカデミー主演男優賞なんてものを取ってしまったら、必ずしも自分が主役とはいえないような、ましてやSFアクション映画になぞ出ないのではないか、などと思っていたのだが、しっかりと出ていたのである。もうかなりのおじいちゃんなのだが、見せ場はしっかりとあった。なんといっても前作で一番いいセリフを言った男である。さすがなのである。

さすがといえば、調査担当のジェフ・ゴールドブラムもよかった。
この人は、顔だちとか頭身みたいな、いわば骨格レベルでどこか常人離れしたところがあるような気がする(見た目がすでにSF、というか)。なので、こういう非日常な映画に、「飄々とした(ちょっと)変わり者」として登場するとすごくハマるのだろう。

そういえば、前作からの続投組ではないけれど、シャルロット・ゲンズブールが出ていて少しびっくりした。シャルロットって、こういう映画にも出るんですねえ。かつてのなまいきシャルロットは、今作ではそれほどなまいきではない博士役でした。

ところで。
さきほどから「SFアクション」というような言い回しを使っているが、この作品に含まれる要素はそれだけではない。コメディっぽいところもあるし、バディ(相棒)映画っぽいところもある。なぜか最前線に紛れ込んでしまう間の抜けた民間人もいるし、避けられぬ運命によって反目しあう友人たちもいる。自分の弱さを克服するドラマも、家族を思う気持ちもあるし、ひとめぼれせずにはいられない美女もいる。
ハリウッドの伝統的な娯楽映画のフォーマットがけっこうしっかり入っているので、宇宙人が出てこないようなところもちゃんと面白くなっている。

とまあ、ここまで思いついたことをつらつらと書き連ねてはみたのだが、この作品の最大の魅力、というか、最大の見どころ、みたいなことについては実はほとんど書けていないのである。

20年前とは比べものにならないほど高度な映像技術で作り上げられた、やたらとリアルな未来世界。それがもうアナタ、大変な規模感で大変なことになるのである。
宇宙人との戦争ものという映画の性質上、いろいろなものが破壊されたりするのだが、そのスケールが想像を超えている。いや、超えずぎている。
日ごろ、目の前数メートルの世界のことしか気にしていないような僕などにとっては、もう頭が追い付かないレベルである。自分の目を通して脳に直撃する映像情報をただただ受け止めるだけの僕としては、
「わー」
みたいな感想しか出てこない。頭が追い付いていないので、感想も原始的になってしまうのだ。

特に僕の場合、予告編のような、事前にある程度内容の察しがつきそうな情報をいっさいインプットしていなかったので(それだけ期待していなかったのである)、映像のインパクトが半端ないことになってしまった。
映画が導くまま視線を右へ左へ上へもっと上へ下へと動かして、そこで起きるとんでもないことを、
「わー」
だの、
「うわー」
だの、
「おわー」
だの、およそ大人とは思えない貧弱な語彙とともに受け止めるしかなかった。
途中、何回か、
「ダメだもうダメだ地球終わった」
みたいなことをつぶやいたかもしれない。

映画を観終ってけっこうな日にちが過ぎた今に至っても、実はこの作品を自分のなかで処理しきれていないような気がする。
だって、あのエンディング、どう解釈したらいいのだろう?

映画を観終ったあとの話といえば、僕はビル・プルマンコリン・ファースの区別がついていないことを知ったのであった。
つまり、アカデミー賞を取ったのはコリン・ファースで、ビル・プルマンは取っていない(たぶん)。ということは、映画館で僕が抱いた「ビル・プルマンは偉いなあ」という感想はおおむね誤りなのである。
なんだかビル・プルマンに大変申し訳ない気持ちになってしまった。人の名前を間違えるというのはとても失礼なことなのだ。この場(日本の片隅のちっぽけなパソコンのキーボードの前で)でお詫びいたします。ごめんなさい。
……でも、ビル・プルマンコリン・ファースって、けっこう似てないかなあ。
写真を並べて比べてみると、あまり似ているような気はしないのだけど、雰囲気というかなんというか。