平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

緑色。

僕はもうなんといっていいか、宿命的なまでに緑色を気にして生きている。
理由はとても単純で、僕の名前に緑という色が含まれているからだ。僕のフルネームから換算すると漢字表記で25%、ひらがな表記で約33%が緑という色で占められている。過半数は超えないもののなかなかの大派閥だ。無視するのは難しい。
好むと好まざるとに関わらず、緑色はぼくの人生に影響を与え続けているといっていい。

名前に緑が含まれている人間には、いつの間にか緑色のものが集まるという傾向がある。
つまり、身の回りを見渡してみると、本人にしてみたら意外なほど緑色のものが多いのだ。たとえば、この文章を書いている小さなパソコンから顔を上げて、右から左へ頭を動かしただけでも、衣類、腕時計、文房具、食器、歯ブラシ、ブックカバー、スニーカー、眼鏡ケース、印鑑等々が視界に入ってくる。「あたり一面緑一色」ということはないが、ふと気が付いたら緑色のものを選んでいるということが起きやすいのである。赤川さんとか青木さんとか、他の色を含む方々にも同様の現象が起きているのではないかと推測する。

この傾向は、自分の意識のみに留まらない。
他者からみた僕のイメージにも、緑色は深く食い込んでいる。

たとえば、仕事の打ち合わせをするとき。
その作業に携わるメンバーを表形式にまとめ、各メンバーの作業とスケジュールをわかりやすくまとめた資料があるとする。
それに載っているメンバーの名前が、視認性を良くするために色分けされているとしたら、僕の名前はほぼ間違いなく緑色になっている。

たとえば、仕事の合間、誰かから旅行土産のお菓子などが配られるとき。
そのお菓子に数種類かの味の種類があった場合、僕に支給されるのはほぼ「抹茶味」もしくは「青のり味」なのだ。

以上の例を持ち出して、「名は体を表す」って本当ですね、とまで飛躍した話をする気はないのだけれど、少なくとも、目に見える色とか物が名前に含まれている場合、その色や物は、その人の人生に少なからず影響を与えるといっていいかもしれない。
星野鉄郎などという名前の男の子は、その名前が付いた時点で、銀河鉄道に乗る運命を背負っているのだ。
(ちょっと例が古いですね)

ここで、山田カシューナッツとか、鈴木アーモンドなどという名前の人がもしいたら、その人はカシューナッツなりアーモンドが大好物だったり、それに関する職業に就いたりすることが多いのだろうか、などと書いてみて、「そもそもそんな名前の人なかなかいないでしょ」という風に文章を終わらせようと思っていたのだが、ふと考えると、

高橋くるみ

というような名前は普通にあるような気がする。胡桃沢という名字もそれほど珍しいものではないだろう。

ということで、全国のくるみ由来の名をもつ人々はくるみという木の実が好きなのか、もしくは、その人生はくるみに満ちたものなのか、やたらと気になってきたのである。くるみに満ちた人生って、書いてても意味はよくわからないが、なかなか悪くないような気がする。