平熱通信:旧

ここは世界の片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。

名警部登場。

結局のところ、週末に実家に帰ることになった。
父のパソコンから消えた電源スイッチを探さなくてはならない。
父には現場をできるだけそのまま保存するように命じておいた。父の部屋は今、蟻一匹出入りできる隙間もないはずだ。「KEEP OUT」と印刷された黄色いテープで部屋のドアがふさいであるかもしれない。

明日、僕は現場に颯爽と登場し、電源スイッチを探すだろう。しかし捜査は困難を極め、やむなく捜索範囲を拡大し、1階の台所まで調べることになる。
なんとなく妙な胸騒ぎがして、まさかと思いつつ床下収納のフタを開ける。そこには地下に続く長い階段。
こんなものは、俺がここに住んでいるときにはなかった。おそるおそる階段を下りる。
地下には巨大な印刷工場があった。無人の工場に印刷機の音だけが響きわたる。何を印刷しているんだろう。俺は当初の目的そっちのけで、印刷機に近づく。

印刷された紙を手に取る。
そこには見慣れた顔がいくつも印刷されている。
福沢諭吉
数十枚もの1万円札が印刷されているのだ。つまりこれは……、
「ニセ札だ」
俺は思わずつぶやく。これは裁断する前のニセ札なのだ。 あたりを見回すと、世界中の紙幣が印刷されたシートがある。俺は激しく混乱し、誰もいない地下工場で叫んでいた。
「世界中のニセ札だ。スイッチを追いかけていてとんでもないものをみつけてしまった! どうしよう!」

あ。
テレビで放映していたアニメ映画につられて、ついついデタラメを書いてしまった。どうしよう。

思いだけが伝わらない。

実家の父からLINEでメッセージが来る。どうやらパソコンの調子が悪いらしい。
状況によっては実家に帰って実機を見る必要がある。まずは情報収集、ということで、「どういう問題が起きているか、わかる範囲で教えてください」という返信をする。ちなみに僕はメールやLINEの文面は丁寧語になることが多い。性格が丁寧というのではなく、単に語彙が少ないのだ。
父からの続報にはこのようなことが書いてあった。

「パソコンを使おうとしたら電源のスイッチがなくなっていた」

……額面通り受け取ってしまうと機械部品マニアの泥棒か妖怪の仕業としか思えない現象だ。
おそらく今、父は相当あわてているのだろう。これ以上あれこれ質問するよりも、直接パソコンを見に行ったほうがいいかもな、などと思っていたら、次のメッセージが届いた。

「I PATのパスワードも入力できない」

「I PAT」とは、父が愛用しているiPad miniのことだろう(おそらく)。
タイプミス自体はよくあることとして、問題は、パソコンの不調という問題に、どうしてiPadが登場するのか、ということだ。

本人は一生懸命説明しようとしているが、うまくまとめられなかったり、ちょっとした間違いがあったりして、他人にうまく伝わらない、ということはよくあるものだ。それが、日ごろ興味がなかったり、不得意だったりするものだと、その可能性はより高まるだろう。

僕にもよくそういうことがある。
会社で仕事をしていると、たまに打ち合わせのようなものに出席しなくてはならないことがある。
僕はあれがあまり得意ではないので、出席した際は、なるべく隅っこの、目立たないところで、極力小さく見えるように椅子に深く座ったりしているのだが、それでも時々、発言をしなければならない時がくる。
そういう時はたいてい、要領を得ないことを早口でまくしたてることになるのだが、これは決して真面目に考えていないからではないのである。単に仕事が不得意なのだ。

ちょっと話がそれてしまうが、打ち合わせが終盤にさしかかり、ほぼ話もまとまった、というタイミングで、「今回、発言がなかった人にも、最後に機会を作ってあげよう」みたいな感じで発言を求めてくる人がいるが、個人的にはそういうお気づかいはノーサンキューなのである。
「言いたいことがあったのだけれど、タイミングを逸してしまった」ということもあるから、そういうお気づかいが有効に作用する場面もあることは承知している。ただ、僕にはノーサンキューだ。
僕が口を開かない時は、言うべきことを何も思いつかない時だ。……と、思い切り断言してしまったが、打ち合わせの場みたいなところではあまり感心できないことだろうなあとは思う。どうもすみません。

青春の終わりは無意識に。

それがいったいどういうものかという説明はすっ飛ばすのだが、仕事をしていて出てくる単語に「配布部品」というものがある。
とある資料に「配布部品」と何回か記入する必要があり、カタカタとキーを叩いていたのだが、ふと気づくと、「配布部品」と打ち込んだはずのところすべてが、
「廃部不憫」
……になっていた。

資料のあそこにもここにも散りばめられているので、正確に何度もタイプミスをしたということになる。
何部が廃部になったのかわからないが、なんとなく申し訳ないことをした気分だ。志半ばで所属していた部がなくなってしまった少年少女が泣き崩れるというシーンが、頭にちらりと浮かんでしまったのである。
もちろん妄想だ。