あこがれの選り好み。
「コーヒーを飲むと夜眠れなくなる人」が、本当にいるとは思わなかった。
それは、コーヒーに含まれるカフェインが体に与える影響をわかりやすく説明する為のキャラクターみたいなもので、つまり、カフェインを多めに取ると目が冴えてしまいますよ、とか、一時的に眠気が飛びますよ、ということを言いたいが為の架空の人物だと思っていたのだ。
わかりやすくいえば、「酢を飲まされて体が柔らかくなったところをサーカスに売られた人」と同じようなポジションの人だと思っていたのだ。……あれ、わかりやすくなかったですか?
ある日、僕の眼前に、「夜、コーヒー飲むと眠れなくなるから」などと臆面もなく言う大人が現れた時には、心底驚いたと同時にうらやましいとも思ったのであった。
昼であろうが夜であろうが、がぶがぶとコーヒーを飲めるということは、カフェインに対する耐性が高いともいえるわけで、これはこれで便利なことではあるのだが、
「夜、コーヒー飲むと眠れなくなるから」
というセリフにかすかに含まれる繊細さ、ナイーブさのようなものが少しだけうらやましいような気もする。
例えば、好き嫌いなく何でも食べられる人がいる。
甘かろうが辛かろうが、肉だろうが魚だろうが、野菜だろうが果物だろうが、なんでももりもり食べられるのは素晴らしいことだ。様々な栄養をまんべんなく取りやすいし、それが例えば誰が用意してくれた食べ物だった場合、食べられなくて申し訳ない気持ちになるリスクも少ない。
ただ、そういう人は、まれにこのような扱われ方をしていないだろうか。
例えば、仲間内で飲み会の場所を決める時、「あいつの希望は聞かなくていいよ。口に入る大きさのものならなんでも食べるんだから」みたいに言われるとか。
あるいは、出された料理をぺろりと平らげて、どれも美味しかったです、と告げた時、「何を作っても美味しいしか言わないんだから、工夫した甲斐がありゃしない」とため息をつかれるとか。
言葉の裏にちらりと見える、「つまりアイツは鈍いから」というニュアンスに淋しい気持ちになったことがある人は、繊細、ナイーブというような、ある種の「弱さ」にあこがれるのである(断言していいものかどうか若干の迷いはありますが)。
たまには、
「オレ、ワサビの辛さは平気だけど、胡椒の辛さはダメな人だから」
とか言ってみたいような気もする。
もしくは、
「あーごめん、養殖ものは受けつけないんだよね、体が」
などと倒置法で嘆いてみたいような気もする。
昔、
「チョコ食うと気絶するんだよね」
という知り合いがいて、その人はなんらかのアレルギーが原因で本当に気絶するらしいのだが、そのやっかいな体質すら、ちょっとうらやましい……とはいわないまでも、ああ、すごいなあ、というような、羨望の眼差しで見つめてしまったような気がする。体質とかアレルギーみたいな問題を、あまり軽々しく扱ってはいけないのだけど、その人があまりにも面白おかしく「チョコひとくちパクッと食べただけでバターンよ」とか言うものだから、「逆にうらやましいっすよ」みたいなことを笑いながら言ってしまったことがある。そのあと、その人が「てなわけでこれやるよ」とか言いながら、その日もらった義理チョコを全部くれたときに、「あ」と思ったのをよく覚えている。大昔のバレンタインデーの思い出だ。ちょっと話がそれてしまった。
つまり、たまには「おれのセンサー、敏感過ぎて困っちゃうゼ」みたいなことを言ってみたいなあ、と思うのだ。
同じような意味合いでいうと、
「昔、練習しすぎて肩をやっちゃってさ。それ以来、雨が降るとちょっと(痛むんだよ)ね」
というのもなかなかにあこがれのセリフである。
僕はといえば、わりといつも腰が痛いのだが、これは単に経年劣化だしなあ。